2018年4月4日水曜日

自由さと美しい伝統の中で

今日は、ふと思い出したことを書きたい

最近、クラシックの演奏会では
子供向けのコンサートも増えてきていて

子供達は素直な反応で
手拍子したり
騒いだり動いたり
自由に聴いているのが
素敵だし

親御さんも、そういうコンサートに
どんどん足を運んで
色んな音楽に触れてほしいなと
私は心から思っている。

その一方で、音楽には
静寂さの中にある美しさが存在すると思う。

一拍の休符に込められた想いを
表現するために
何度も練習を重ねた合唱練習を思い出す

大きなホールに
上着を預けるクロークがあるのは
衣服への音の吸収を
少しでも少なくするための
聴き手側の演奏者へのエール

最後の音の終わり
余韻がほどよく残って
拍手のタイミングが
ふわっと決まった時の
会場の一体感の感動

そこまでの、息を呑むような
緊張からの解放は
聴き手の心配りが丁寧な時ほど
大きくなる

そして、それはどんな子供達にも
必ず伝わるはず



児童養護学校で音楽療法を
させてもらっていた時
必ず、鑑賞の時間を作っていた

静かな曲は、静かに揺れる
元気な曲では、激しく揺れる

言葉をかわさずとも
音楽の要素は
必ず伝わっていた

以前、チケット制のコンサートを開催する時に
子供の入場に対しての意見を交換して
話に出た内容で

《お客様を育てる》という言葉が出た

昔は、子供が騒いだ時の対応とか
こちらから言わなくても
自然と周りに配慮してくれることが多かった

子供さんの自由さを大切にしながら
音楽を楽しんで欲しい想いは同じ

だけど

演奏者さんにとって
かけがえのない本番のステージは
想像以上の時間を費やして
5分ほどの時間に懸けている

その演奏者さんの親御さんも
ステージを心待ちにしていて
ホールで共に時間を過ごしている

子供達とコンサートに行く際には
たくさんの人の想いがあることを感じてほしい

演奏会に出た時
ちょっとお客様でうるさくしているのに
注意をしていない親御さんがいた

私自身は舞台上で
仕方ないかな
と感じたけれど
演奏会の後にアンケートで

とても素晴らしい演奏会だったけれど
せっかくの場面でマナーの悪い方がいて
少し残念だった。

主催者側として、配慮してほしい
と書かれたこともあった

自分の生徒ちゃんの発表とかの前に
袋をガサガサ始めたおばあちゃんに
いらついたこともあったなぁ

拍手のタイミングや
難しいと思うルールにも
何百年と続いた美しい伝統を
残すための心がその形になっている

我慢を強いる場ではなく
子供達にも自分の想いを少しだけ抑えて

演奏者さんや、周りの人への
思いやりを育てる時間を
子供と一緒に学ぶ時間

と、少し視点を変えて

静かに音楽を聴くというスタイルを
一緒に学ぶ気持ちで
配慮の心を親御さんが持ってほしい

子供は静かに聴けないというのは
親御さんの勝手な思い込みだったり
ただ、そのスタイルに慣れていないだけ。

子供は、自由だから仕方ない
と、決めつけてませんか?

共にその場に生まれる音楽を
感じることを育めるのは
一緒に演奏会に行っている大人の意識も
関係していると私は思っています

批判ではなくって
少しだけ
自由さと、伝統の美しさの間を
感じてほしいのです

子供と共に
音楽会を楽しむための成長を
一緒に出来るような機会が作る

そんな夢が出てきました

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