2017年11月1日水曜日

花輪の社長さん

ちびまる子ちゃんのお金持ちといえば
花輪くん
同じ名前の社長さんに
母と私は大変お世話になった。

その社長が、29日に亡くなった。
オペラの日だったから
母からの連絡は端的なものだった。

おはよう、今日頑張ってね。
社長が今、亡くなりました。

私が音楽に進むことを
話した時に社長には

おおー!舞台人になるなら
本番の時に
親の死に目に会えないとかあったとしても
与えられた役をしっかりやるんだよー!

と言われたなあーと思った。

すぐ、母に電話して
落ち込む母を勇氣付け、練習に戻る。


病院に行ったのは、先月のこと。
ひとりで、社長に会いに行った。

なんとなく最後の予感がして
耳元で少し歌わせてもらい
ありがとうございました。
と、短く感謝を伝えた。

眼は開かなかったけど
聴いてくれているのを感じた。



着の身着のまま
母と家を飛び出し
ばあちゃんの家に居候。

のはずが、

『ばあちゃん再婚して、家を手放す』の巻

という、面白いタイミングでの
親子の転機の重なり!!笑
(あれ?今気づいたけど、私も結婚の時
母の転機と色々かぶってたんですけど。。。うける
これは、今度見つめてみよう)

すぐに就職先を探すことになった母。

おばあちゃんの家から
小学校に車で通う。
その頃の記憶は曖昧で
ほとんど思い出せない。

新しい家への引っ越し後、
新しい就職先を決めてきた母。

その時社長から言われた面接の質問

社長「君は運が良いほうかい?」

「はい。運いいです。」

はい、採用。


これ本当の話。

初めは、そんなに長い採用になると
思っていなかったんだけど

社長さんは、私のある行動で
この子が大人になるまで
面倒みようと決めてくれた。

その行動は
アイスクリームぺろぺろ。

社長と社員1名(母)の会社だったから
お茶汲みの仕方から
高級なホテルの料理を食べることも
そのマナーも
スナックに行って歌う事も!笑
政治経済の話をしたりも
世界情勢、株の話も
小学校の時に教えてくれた。
中学からは、大人として意見を求められた。

本当に素晴らしい先見の明がある方だった。

女性がいなければ、男性は産まれない。
だから、女性として生まれた桜子ちゃん。
女としての誇りを持ちなさいと
思春期の頃に言われていた。

話を戻す。
高級なホテルのアイスクリームは
ワイングラスみたいな容器に入ってて
信じられないくらい美味しくて
スプーンでは取り切れないところに
溶けている

何ともいえないスペースに
アイス、、

アイスが、、まだそこに在るのに、、

スプーンじゃ取れない。
あぁ、食べたい。

この部分を食べ、、、いいや。

なめちゃお!

と、大人を横目に
アイスの入った淵のところ
ぺろぺろしてたら社長に見られた。

その私の行為は、社長に衝撃を与えたらしい。

そこから15年くらい経っても

さくらちゃんが、まだテーブルから
ちょっと顔が出るくらいのときに
上目使いでぺろぺろアイスをなめていて
何て可愛いんだろう!と思って、

そんなに美味しいなら
もう一つ注文したら?と言ったら

いいの~!!??って
眼がこんなに大きくなって
ニコニコ喜んでくれてね。

その時、さくらちゃんが大人になるまで
この子のお母さんとさくらちゃんを
助けなきゃならん!頑張るぞ!と
思ったんだよなー
そのさくらちゃんがなー。

と、いつもニコニコと握手を求めてきた。

たまには下ネタのオンパレードもあり
困ったこともあったけど
それは今思うと必ず暗い話題の後だった

手がふわふわとして
何度も求められる握手は
恥ずかしかったけど
心地良かった。

とても穏やかな最期だったと聞いた。

社長はいつも、ご飯やお茶を一口分残していた
私も母も、社長は裕福だから残すんだと思っていた

それからしばらく時間が経って
バイキングに初めて一緒に行ったとき
それも残したから、どうして一口分残すんだろう?と
聞いてみたら

社長は、戦前戦後の時代の中で
満州で生まれ育ち
日本に帰ってきた。

一口残すのは
感謝の意味での行為だと知った。

自分が見ている世界は
勝手な幻想だったりする

愛のある行動をしよう
愛の言葉を話して
今を生きよう

今日は、社長への感謝のラブレターでした。

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